秋の歯にこころもとなくおきうとの骨も髄もなきこの舌ざわり
バスを待つきのうもバスを待ちおりき思えば一生(ひとよ)待つばかりなる
目薬をさせば海面(うなも)を漂えりひかりながるる水のおもてを
スーパーの袋をさげて歩み来る敵将の首を下ぐるごとくに
見目(みめ)悪しき魚は味がよいというわが安堵することにあらねど
考えて考えて流れはじめたり三和土(たたき)に垂れし傘のしずくが
値札みて買うをやめたるカシミヤの朱のセーターのあのやわらかさ
植えられて苗しずかなり水面におのれの丈の影を映して
窓越しにぼうと見ているきつね雨昨夜のことをよみがえらせて
アイスコーヒー飲み終えしグラス引き寄せて氷の溶けし水すこし吸う
1首目の「おきうと」は福岡の人がよく食べる海藻食品。
2首目、バスに限らず人生には待ち時間が多い。
3首目、目薬を差した時の感覚がおもしろく表現されている。
5首目はユーモアの歌。言外に自分が美人ではないことを伝えている。
6首目、三和土の微妙な凹凸を流れていく水の様子。
7首目、家に帰って来てから思い出しているのだろう。
10首目は結句の「吸う」がいい。もうほとんど味はしない。
タイトルの由来について、あとがきに
母が亡くなってからの十年、わたしの考え方感じ方が少し変わったように思う。肩の力が抜けたというか、日常の生活が大事だと思い始めた。凝った味付けではなく、白湯の味わいを好むような日常になったということかもしれない。
とある。短歌においても「白湯の味わい」を目指しているということだろう。白湯を美味しく飲ませるために、おそらく作者はいくつもの工夫が施しているのだ。
2015年9月10日、北冬舎、2200円。