1968年に同友館から刊行された同名の本を、新たに「宮本常一著作集別集」として刊行したもの。「私の日本地図」全15巻のうちの1冊。
昭和27年、36年、37年、39年と計4回にわたって五島列島を旅した記録。宇久島、小値賀島、野崎島、六島、藪路木島、大島、宇々島、中通島、頭ヶ島、若松島、福江島、日ノ島、男女群島など、数多くの島を一つ一つ丁寧に歩き回って、人々の暮らしや風俗、地理、歴史について考察をしている。
五島は、東京や大阪からみれば西のはてのように思うけれども、海ひとつへだてればそこには朝鮮や中国がある。向う側から見れば入口なのである、決して国のはてではない。それを国のはてのように思わせるにいたったのは、中国や朝鮮との往来がむずかしくなってきたことからではなかったかと思う。
五島列島と言えば西の辺境というイメージが強いが、歴史的に見れば、ここは海外との交流の最先端の場所であったのだ。
宮本の視線は、常にその地に根差して暮らしている人々に向けられている。離島の暮らしをどのように豊かにしていくかは、彼の長年にわたる課題でもあった。
宇久島はレンコダイ釣の船の基地であったが、今はそのことも一〇年まえのように盛んではない。笛吹にはイワシ巾着網の船の影は見えなかった。生産があがって島が近代化したのではない。周囲の風潮と公共設備投資によって、はなやかになってきたまでであって、生産のともなわないことが、島民を島外へ押し出さざるを得ない状態になしつつあった。
こうした思いはさらに、国の施策に対する疑問や、戦後の風潮に対する反省へとつながっていく。
国を今日のようにまで発展させ、文化を高め得たものは土着の思想であったと思っている。その土を愛し、その土に人間の血をかよわせようとする努力が、この国を生き生きさせたのである。そのような愛情と努力は、すくなくとも戦前までは国の隅々にまで見られた。
かつては農業や漁業などの第一次産業を中心として、国土の隅々まで毛細血管が伸びるように人々の暮らしがあった。その後の高度経済成長、産業構造の転換、都市部への人口集中と地方の過疎化。そうした問題を、宮本はいち早く肌で感じていたのだろう。
半世紀近く前に書かれた本でありながら、今の私たちの生活や、日本の今後を考えるヒントが、ここにはたくさん詰まっている。いつ読んでも、宮本常一は圧倒的だ。
2015年7月30日、未來社、2400円。