古書店に文学全集『白鯨』の巻のみ残し海とほき町
喪、とふ字に眼のごときもの二つありわれを見てをり真夏真夜中
音もなく氷雨降りくるまよなかのバス停に来ぬバス待つ死者ら
つなぐ手をもたぬ少女が手をつなぐ相手をもたぬ少年とゐる
びいだまを少女のへそに押当てて指に伝はるちひさき鼓動
早朝のこほりかけたるみづにゆれまるで貞女のやうな豆腐だ
カフカてふ姓は烏の謂(いひ)にしてゆふつかた貨車みな消ゆる朱夏
われは死をなれはわが身を恋ひゐたり壜に酒精の冷ゆるこの宵
あなうらにすなのながるるくににありてわれら夭死のほかのぞむなし
まよのうみくろくふるへてまばらなるゆきのひとひらひとひらを呑む
2013年に角川短歌賞を受賞した作者の第1歌集。
現代歌人シリーズ9。
文学の香りとエロスと死といったテーマが濃厚に立ち昇る。
1首目、『白鯨』と「海とほき町」の取り合わせがいい。
2首目、死者に見られているという意識が強く感じられる歌。
4首目、欠けているものを持つ同士だが、互いに満たされることはない。
5首目、「びーだま」のひらがな表記がいい。ほのかなエロス。
7首目、下句はどこか強制収容所をイメージさせる。「烏」と「貨車」の黒。「貨車」と「朱夏」の音の響き合い。カフカの三人の妹はみな収容所で亡くなった。
9首目、足の裏の砂が波で流されて沈んでいく感覚で、現代の日本を捉えている。
10首目、ひらがなを多用して、夜の海に降る雪を美しく詠んだ一首。
2015年12月11日、書肆侃侃房、1900円。