副題は「日本人は敗者とどう向きあってきたのか」。
日本各地に、戦いに死んだ者を弔うための「首塚」「胴塚」「千人塚」などが残されている。その数は著者の調査によれば、実に665か所にものぼる。
本書は645年の大化の改新の蘇我入鹿の首塚から1877年の西南戦争における西郷隆盛の埋葬地まで、歴史を順にたどりながら、それらにまつわる伝承や現在の姿を追っている。
取り上げられている塚は、大友皇子の自害峯、平将門の首塚、平忠度の腕塚、新田義貞の首塚、関ヶ原古戦場の東首塚・西首塚、井伊直弼の首塚、近藤勇の首塚など、日本史を一通りおさらいするかのように多彩である。
「壬申の乱」と「関ヶ原の合戦」、「一ノ谷合戦」と「湊川合戦」がほぼ同じ場所で戦われていることを指摘した上で「平場の少ない日本列島においては、合戦を行なうに適当な場所は限られていたのである」と述べるなど、歴史の本としてもすこぶる面白い。
けれども、歴史学の本ではなく、民俗学の本である。
本書は、戦死者の亡骸を埋葬したとされる塚の伝承を論じるものの、その真偽や形成過程を歴史的に明らかにすることを目的としていない。それは、私が柳田国男と同様、そうした伝承は「人が之を信じて居るといふこと」にこそ、その意義があると考えるからだ。
というのが著者の立場なのだ。
「塚に仮託されて語られる、人々の戦死者に対する想い」は、どのようなものであったのか。故郷を離れた土地で無残にも亡くなった人の霊魂をどのように処遇したら良いのか。「霊的処遇」と言うと言葉は硬いが、要は「慰霊」である。
それは、決して過ぎ去った昔の話ではない。靖国神社の問題や、天皇陛下のパラオやフィリピン訪問など、現在も続いている問題である。
丁寧なフィールドワークと文献調査を通じて、これまであまり手掛けられてこなかった歴史学と民俗学の隙間に果敢に踏み込んだ力作と言っていいだろう。
2015年11月19日、洋泉社、1800円。