マグカップ落ちてゆくのを見てる人、それは僕で、すでにさびしい顔をしている
海底に夕立ふらず鮃やらドラム缶やら黄昏れている
溶けかけのソーダの飴をわたすとき城ヶ浜まであと12Km
手に負えない白馬のような感情がそっちへ駆けていった、すまない
どら焼きに指を沈めた、その窪み、世界の新たな空間として
窓際の秋のパスタはくるくると金のフォークが光をかえす
正しさって遠い響きだ ムニエルは切れる、フォークの銀の重さに
骨だった。駱駝の、だろうか。頂で楽器のように乾いていたな
卓袱台に茶色い影が伸びてゆくグラスへとCoca-Cola注げば
煙草すうように指先持ってきてくちびるの皮むく春の駅
爪が食い込むとシーツは湖でそこにするどく漣がくる
偶然と故意のあいだの暗がりに水牛がいる、白く息吐き
410首を収めた第1歌集。
1首目、マグカップを落とした時の自分の姿がスローモーションで再生されるような不思議な感覚。
2首目、「海底に夕立ふらず」に発見がある。
3首目、ドライブしているところか。「城ヶ浜まであと12Km」という道路標識の言葉が、そのまま歌に入ってくる面白さ。
5首目、手に持つまでは存在しなかった空間が、この世に出現する。
7首目、初二句と三句以下がかすかに響き合う。力を入れずに切れる柔らかなムニエルと硬いフォークの感触。
9首目、「卓袱台」と「Coca-Cola」の取り合わせがいい。
11首目、性愛の場面を美しく詠んだ歌。映像的でもある。
12首目、偶然と故意とは明確に区別できるものではないのだろう。水牛の存在感がなまなましい。
句読点を多く用いた多様な韻律や文体によって、口語短歌がまた一段と深化した印象を受ける。中東在住の作者で、シリア内戦などに取材した作品もある。
2015年12月7日、青磁社、1400円。