夕じりが身におそひ来る岩壁に浚渫船は汐噴き揚ぐる
蝦夷千入鳴きたつこゑの稚きが朝靄くらき崎山にして
戦日日にけはしき世なりひねもすを思ひ歯がゆく事務急ぎゐつ
〇〇ケーブルの工事は急げ門畑の稔りは捨てて何悔ゆるなし
この島の夏は短かきプールにて日焼の子らがしぶきを上ぐる
「港街に居て」14首より。
昭和14年夏の樺太西海岸の真岡の様子が詠まれている。
1首目、「夕じり」は夕方に発生する海霧のこと。「海霧(じり)」は俳句では夏の季語。その中で船が港の土砂を浚う作業をしている。
2首目、「蝦夷千入(エゾセンニュウ)」は鳥の名前。夏季にシベリア、サハリン、北海道などで繁殖する。「稚き」とあるので雛の声だろうか。
3首目、昭和12年に始まった日中戦争が拡大し、この年には「国民徴用令」が施行され、生活必需品の配給統制も始まっている。
4首目、「〇〇」は伏字。おそらく「海底ケーブル」だろう。昭和9年に樺太と北海道の間に電話用の海底ケーブルがつながっているが、それが真岡まで伸びたのではないか。
5首目、樺太の短い夏を楽しもうとプールで遊ぶ子どもたちの姿である。