副題は「山人が越えた径」。
2005年に東京新聞出版局より刊行された単行本の文庫化。
今では使われなくなってしまった径を訪ねて全国を旅した記録。「越後下田の砥石道」「足尾銅山の索道」「会津中街道」「松次郎ゼンマイ道」「鈴鹿 千草越え」など、14篇が収められている。
交易、鉱山、信仰、ゼンマイ採りなど、様々な目的によって拓かれた径は、国道の開通や地域の過疎化、生活様式の変化などによって人が通らなくなると、藪に埋もれ、やがて跡もわからなくなってしまう。
やがて時代は大転換を迎え、動脈は街道から鉄道へ劇的に移っていく。(…)主役の座を奪われた街道は、確実に衰退していった。峠の向こうへつづく最前線の集落は、いつのまにか最奥の集落へと変わっていく。
作者はそうした変遷を諾いつつも、それを「文化の遺産」として記録しておく必要性を述べている。それは鉈目(=はっきりした道がない森林で、山中生活者・登山者などが樹木の幹に鉈でつけた目印)についても同じである。
鉈目を自然のままの樹木を傷つける行為と非難するのは、山を知らない人たちの傲慢である。鉈目は山びとの文化の遺産なのだ。(…)鉈目を読むことによって、その年の山の状態や暮らしぶりが見えてくるのである。
鰤街道や鯖街道などの塩魚の道についての記述も忘れ難い。
山に暮らす人々は、長い冬の食物として長期の保存に耐える塩魚を喜んだが、もっとも必要としたのは塩そのものだった。
「魚」よりも「塩」の方が大事だったのだ。
山にもタンパク源になる獲物はいるが、塩は取れないからである。
2015年11月5日、ヤマケイ文庫、980円。