2015年12月13日

山下裕二・橋本麻里著 『驚くべき日本美術』


美術史家の山下裕二が、ライターの橋本麻里を聞き手に、日本美術の面白さや見方を語った本。山下自身の日本美術との出会いや人々との交流の話もあり、飽きることなく読むことができる。

とにかく、目から鱗の話がたくさん出てくる。

実物を見てわかることで、いちばん実感できるのはスケール感、大きさですね。そこで僕がよく例に出すのが、高松塚古墳の壁画。これはほぼ誰も実物を見たことがない絵で、人物像だから等身大くらいだと思っている人が多いんです。ところがあれはフィギュアサイズ。
非常に単純なことですが、江戸時代以前に天井からの照明は存在せず、下から照らすものだけです。(…)応挙はそうした光の状況を念頭に置いた上で描いているわけですから、同じ光で見なくては、その意図が理解できません。
利休のわびさびみたいなものは、一方で桃山の絢爛な世界があるからこそ成り立つんです。あれがあるからこそ引き立つ、コンセプチュアルアート。
「池辺群虫図」の中にアゲハチョウがほぼ真正面向きで描かれているんですが、その触角を若冲はクルン、と丸めているんですね。これは現実の蝶では絶対あり得ない。(…)それを丸めてしまうのは、やはり「生理的曲線」への志向がなせる業なんです。
物心がついたときに鉛筆を持たされた人間は、もう応挙や若冲のような線は引けないんです。本当に江戸時代以前のクオリティーに迫るような日本画を生み出そうと思うなら、徹底した幼児教育で、小さなころから筆を持たさない限り不可能です。

次の部分など、短歌の批評においても当て嵌まる話だろう。

僕が感じている雪舟に対する実感を完全に言葉で人に伝えられるかというと、はっきり言って、無理。本当は「すごい!」くらいしか言えない(笑)。でも、「言葉では絶対に伝えられない表現の核心部分がある」ということを、言葉で伝えることはできる。つまり美術について言葉で語るということは、核心の真空地帯みたいなものがあるということを伝えるために、言葉で外堀を埋めていくような作業なんです。

表現の核心部分を言葉で解き明かしているわけではなく、言葉では説明できない部分を浮き彫りにするために、言葉で説明しているのである。これは歌会などの場で忘れてしまいがちなことだ。

2015年10月31日、集英社インターナショナル、1600円。

posted by 松村正直 at 08:44| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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