例えば、荒川洋平著『日本語という外国語』は、
山田選手はかなり練習させられていたらしいよ。
という例文を使って、述語部分に関する文法形式の「テンス」「アスペクト」「ボイス」「ムード」の4つについて説明している。
「させ」ボイス(使役)
「られ」ボイス(受け身)
「てい」アスペクト(進行)
「た」テンス(過去)
「らしい」ムード(推測)
「よ」ムード(判断)
「練習させられた」でも「練習させられていた」でも「練習させられていたらしい」でもなく、「練習させられていたらしいよ」。一つ一つの言葉にすべて意味がある。文末の「よ」も、あるのとないのとでは大きくニュアンスが変ってくるのだ。
こうした分析は、例えば永井祐の
あの青い電車にもしもぶつかればはね飛ばされたりするんだろうな
『日本の中でたのしく暮らす』
という、かつて議論を呼んだ歌の読みにも役立つだろう。
つまり、この歌は「電車にぶつかればはね飛ばされる」といった内容よりも、むしろ「はね飛ばされたりするんだろうな」という言い回しに重点があるということだ。
「はね飛ばされるだろう」でも「はね飛ばされたりするだろう」でも「はね飛ばされたりするんだろう」でもなく、「はね飛ばされたりするんだろうな」。文末の「な」まで、きちんと読み解いていく必要がある。