副題は「戦後短歌からの問い」。
23篇の評論を収めた評論集。全体は「出発について」「源について」「今について」「未来について」の4章に分かれている。
現代短歌とは、第二芸術論以後の短歌のことだ。第二芸術論への賛同も反対も、それらすべてをひっくるめて、現代短歌とは第二芸術論に代表されるような否定論を核として抱きながら展開してきた戦後の詩型のことだ。
現代短歌とは何か、現代短歌はどうあるべきか、そういった問題意識が常に著者の中には存在するようだ。その問題意識に基づいて、葛原妙子、塚本邦雄、山中智恵子や現代の永井祐、笹井宏之らの作品を分析していく。
東日本大震災後、私にとって親たちの昔話の世界に過ぎなかった戦後がにわかに近くなった。七十年前の焦土と震災後の日本とは繋がっている、と思えた。
「あとがき」にこう書かれているように、この本は短歌についての論であるとともに、短歌を通じて見えてくる戦後の日本についての論でもあるのだろう。
けれども、私が一番心惹かれたのは、評論ではなく「挿話」としてところどころに挟まれている5篇のエッセイであった。その中で著者は、ふるさと九州に一人で暮らす母のことをしみじみとした筆致で描いている。
明快な枠組みを提示して鋭い切り口で論じる評論と、この懐かしく温かで、そして寂しさの滲むエッセイとの違いは何なのだろう。そこにこそ、戦後の日本が抱え込まざるを得なかった大きな矛盾が表われているように感じるのだ。
2015年9月1日、書肆侃侃房、1800円。
エッセイと評論とどちらを書きたいか、と言われればやはり、エッセイです。目を留めて下さり、有り難うございました。
本当はきちんとお手紙で感想やお礼を述べるべきところを、ブログでの紹介という形となり失礼いたしました。
220ページの本のうち、エッセイはあわせて十数ページに過ぎませんが、評論と半々くらいの重みを感じました。物事の表と裏のように、両方あって一つなのだという印象を強く受けました。
今後ともよろしくお願いします。