2015年10月30日

大口玲子歌集 『桜の木にのぼる人』


2012年から2014年までの作品を収めた第5歌集。

仙台から宮崎へ移っての息子との生活が詠まれているほか、キリスト教関連の歌がかなり増えている。「きみ」「ひと」「その人」といった言い方で出てくる司祭の存在も大きい。また、原発問題などの社会的な事件を詞書に用いて自らの日常と対比させた「この世界の片隅で」など、意欲的な連作もある。

「さくら」とはまだ言へぬ子が指差してササノ、ササノと鳴きしかの春
まつげパーマ勧められをり仙台より転送されてきたる葉書に
渡されしレモン五つを二瓶のジャムにして一つきみに返しぬ
思はざる箇所に下線が引かれたる他人(ひと)の聖書を書棚に戻す
朝市のおじぎ草 子はことごとくおじぎさせゆき一つも買はず
四時間の充電終へたる自転車の〈頼れる感じ〉をわれのみが知る
象のみどりはタイ語で指示を受けながら鼻で筆を持ち「へび」と書きたり
硝子器に桃と菜の花いけられてそれぞれ違ふ沈黙をせり
粗塩はオリーブオイルにとけながらフリルレタスの上(へ)を流れたり
われわれのシュプレヒコールも街宣車に叫ぶ右翼と似てゆくならむ

2首目、仙台に住んでいた頃に通っていた美容院からの葉書。仙台と宮崎の遠い距離を思うのだ。
3首目、二瓶を一つずつ分け合うところがいい。レモンが「五つ」と奇数なのも効いていて、ジャムにしたことで共有し合えるものになった感じが出ている。
5首目、小さな子の姿が見えてくる歌。歩きながら一つずつ触れていくのだろう。
7首目、巳年のパフォーマンス。「みどり」「へび」といった日本語と、音声としてのタイ語の差が印象的で、けなげさとかすかな哀れみを感じる。
8首目、花だから当然何も言わないのだが、沈黙の質がどこか違うのである。
10首目、反原発のデモの場面。こんなふうに自らの行為を相対化する視点を持っているところが、作者の歌の良さでもあり悲しさでもある。

2015年9月8日、短歌研究社、3000円。


posted by 松村正直 at 08:04| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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