2015年10月14日

武富純一歌集 『鯨の祖先』

著者 : 武富純一
ながらみ書房
発売日 : 2014-10-23

帰るなり自室に入る長男とまず居間へ寄る次男とがいる
人間が田んぼを突っ切らないように魚には魚の通り道あり
一枚のレモン浮かべて休日の午後の光は淡くなりけり
紀伊國屋書店に消えし女あり表紙となりて我を見上ぐる
磨り減りし龍あらわれて尾も四肢も溶け込んでいるスープ飲み干す
東京に体は着けどしばらくは心が着かぬままに歩めり
あかさたなはまやらわとは浜風に赤く咲きたるハマナスの花
水のなき溝に入りゆく白猫の立てる尻尾が流れて消える
道祖神のごとく寄り添い微笑みてパックに収まる白きエリンギ
土下座せし過去いう声のぽつぽつと我にもかつて一度いや二度

「心の花」に所属する作者の第一歌集。
のびのびとした明るさとユーモアが特徴的。

1首目、長男と次男の性格の違いを端的に表している。
2首目は釣りをしている場面。上句の比喩になるほどと納得させられる。
5首目、中華料理店でよく見かける丼のマーク。消えた部分はどこへ行ったのか考えると、ちょっとこわい。
6首目、新幹線で東京へ行くと、確かにこんな感じがする。
8首目、道端の側溝はしばしば猫の通り道になっている。尻尾だけ見えているのが面白い。
9首目、「エリンギ」を「道祖神」に喩えたのが秀逸。何となく微笑ましい姿である。

風号と名づくスリムな自転車はいくらしたかは妻には内緒

この歌は、歌集の解説を書いている伊藤一彦の

おぼれゐる月光見に来つ海号(うみがう)とひそかに名づけゐる自転車に
                    『海号の歌』

を踏まえたものだろう。

箸立てに十本あれば足りるのに十四五本はいつもありたり

という歌も、正岡子規の「鶏頭の十四五本もありぬべし」を想起させる。

2014年10月23日、ながらみ書房、2500円。

posted by 松村正直 at 07:25| Comment(2) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
松村さん、丁寧に読んでくださってどうもありがとうございます。風号は海号より値段だけは高いです(笑)。
Posted by 武富純一 at 2015年10月15日 01:09
武富さん、感想が遅くなりすみません。
自転車は自分の力だけで動くのがいいですね。
もう長いこと乗っていませんが。

Posted by 松村正直 at 2015年10月15日 06:51
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