帰るなり自室に入る長男とまず居間へ寄る次男とがいる
人間が田んぼを突っ切らないように魚には魚の通り道あり
一枚のレモン浮かべて休日の午後の光は淡くなりけり
紀伊國屋書店に消えし女あり表紙となりて我を見上ぐる
磨り減りし龍あらわれて尾も四肢も溶け込んでいるスープ飲み干す
東京に体は着けどしばらくは心が着かぬままに歩めり
あかさたなはまやらわとは浜風に赤く咲きたるハマナスの花
水のなき溝に入りゆく白猫の立てる尻尾が流れて消える
道祖神のごとく寄り添い微笑みてパックに収まる白きエリンギ
土下座せし過去いう声のぽつぽつと我にもかつて一度いや二度
「心の花」に所属する作者の第一歌集。
のびのびとした明るさとユーモアが特徴的。
1首目、長男と次男の性格の違いを端的に表している。
2首目は釣りをしている場面。上句の比喩になるほどと納得させられる。
5首目、中華料理店でよく見かける丼のマーク。消えた部分はどこへ行ったのか考えると、ちょっとこわい。
6首目、新幹線で東京へ行くと、確かにこんな感じがする。
8首目、道端の側溝はしばしば猫の通り道になっている。尻尾だけ見えているのが面白い。
9首目、「エリンギ」を「道祖神」に喩えたのが秀逸。何となく微笑ましい姿である。
風号と名づくスリムな自転車はいくらしたかは妻には内緒
この歌は、歌集の解説を書いている伊藤一彦の
おぼれゐる月光見に来つ海号(うみがう)とひそかに名づけゐる自転車に
『海号の歌』
を踏まえたものだろう。
箸立てに十本あれば足りるのに十四五本はいつもありたり
という歌も、正岡子規の「鶏頭の十四五本もありぬべし」を想起させる。
2014年10月23日、ながらみ書房、2500円。
自転車は自分の力だけで動くのがいいですね。
もう長いこと乗っていませんが。