2015年10月05日

皆藤きみ子歌集 『仏桑華』 から (その1)

『仏桑華』は昭和40年に明日香社から刊行された歌集。
1026首を収めており、全体が下記の4編に分かれている。

台湾編(昭和8年8月〜昭和10年8月)
樺太編(昭和10年10月〜昭和18年2月)
上海編(昭和18年2月〜昭和19年10月)
戦後編(昭和20年2月〜昭和38年4月)

皆藤の夫は製糖会社に勤務する技術者であり、その仕事の関係で台湾、樺太、上海という外地暮らしが長く続いたようだ。

幾貨車のビートは山と積まれつつ初製糖の日は近づけり
農作に恵まれぬ嶋の農民が希望をかけしビート耕作
国はての凍土曠野にかにかくに大き創業は成しとげられつ
洗滌機に吸はれて入りし甜菜の輸送筒にして刻まれてをり
工場の玻璃窓に燃えし没りつ陽がソ聯の方(かた)に夕映のこす

「製糖工場」11首より。

台湾編の終わりに「樺太開発の案成りて製糖工場建設のため突如、樺太転勤の辞令を受く」とある。亜熱帯の地から亜寒帯の地への転居であった。

1首目、台湾ではサトウキビが原料であったが、樺太ではビート(甜菜、砂糖大根)が原料である。多くの貨車によって運ばれてきたビートが工場の稼働を待っている。
2首目、樺太は寒冷な気候のために、稲作には不向きであった。農民はたびたび米作りに挑戦しては失敗している。そんな彼らが期待をかけたのがビート栽培だったのだろう。
3首目、「官民合同の樺太製糖」という注が付いている。台湾製糖と同様に、産業振興を目的とした半官半民の会社であったようだ。国土の北の果てに新たな産業を興そうという熱意が感じられる。
4首目、稼働する工場の様子を詠んだ歌。洗われた甜菜が輸送管を通りつつ刻まれていく。
5首目、工場は豊原にあったようなので、ここで言う「ソ聯」とは樺太の北緯50度以北ではなく、間宮海峡を隔てた大陸側を指しているのではないか。西空に広がる夕焼けである。

posted by 松村正直 at 07:18| Comment(0) | 樺太・千島・アイヌ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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