嵯峨でそだち宇治にくらす私のことを、洛中の人なら、まず京都人とはみなすまい。だが、東京をはじめとする他地方の人々は、ちがう。私の経歴を聞いたうえで、それでも私のことを京都人よばわりする人が、ずいぶんいる。こまった人たちだなと思う。
「京都」と一口に言っても、「洛中」と「京都市」、さらに「京都府」では、全然ニュアンスが違うのである。
私は今、京都市伏見区に住んでいるのだが、そこはどんな位置付けかと言うと、
伏見区は、京都市にくみこまれている。行政的には京都市内の一区をなしていると、そう言わざるをえない区域である。しかし、洛中の京都人たちは、伏見区を京都の一部だと考えない。彼らは、あのあたりを洛南、つまり洛外にあたるところとして位置づける。だから、京都人をよそおう伏見の人がいれば、それを思いあがっているとうけとめる。
ということになる。
まあ、「京都」と言われて一般にイメージされる碁盤目の通りも、神社仏閣も、比叡山も鴨川も、私の住む周囲にはないので、京都という感じがほとんどしないのは確かだ。
こうした居心地の悪さ(?)は、私が自分の出身地を答える時にも感じる。私は「東京出身」であるが、「東京」と言って一般にイメージされる高層ビルや人混みや繁華街とは無縁の場所で育った。だから、必ず、「東京と言っても、町田市と言って神奈川県との県境のところで・・・」と慌てて言い訳のように付け足すことになるのである。
え?えーっ!?え”===っ、と私は思うくらいにカゲキでございました。面白かったです。色んな意味で歴史のある町なんですね・・・
「僕は猟師になった」はあっちこっち楽しみに読んでます。すごく好みです。リトリモアで単行本だったんですか。もっとたっぷり感があるでしょうね。私は文庫なので、ちまちまと。リトルモア社は好きな出版社です。
この本を詠んでて、
「かろやかに斜面を駆けるうらわかき背をおもいつつ噛む鹿の肉」をふと思い出してしまいました。
連想できるって贅沢です、と偉そうなことを書きながらこれからも本の紹介、楽しみにしております。
狩猟や肉に対する関心から生まれた歌です。
ここしばらく、肉に関する歌をけっこう詠んでます。