2015年09月17日

選歌についての私感(その3)

自分が納得できるかどうかで、選を判断してはいけない。自分を基準に考えている限り、その人は永遠に変わることはできない。それは自分の殻に閉じこもっているのと同じことだ。それだったら、そもそも他人の選なんて受けなければいい。

選を絶対のものとして捉えるというのは、選者が偉いとか、絶対に服従すべきとか、そういうことではない。一つの絶対的な座標軸を設定することによって、初めて自分の現在地が見えてくるということなのだ。もし、仮に選が相対的なものであるとしたら、それはランダムに選ばれるのと変らないことになってしまう。

誰だって、最終的には自分の歌を自分で選ばなくてはいけなくなる。自分の歌の良し悪しを自分で決めることの難しさは、歌人なら誰でも知っていることだろう。その前に、どれだけ自分の殻を破って、多くのことを学ぶことができるのか。そこが問われているのだ。

もちろん、そのためには、自分の歌を選歌する人に対する信頼が不可欠である。選者に対する信頼こそが、「選による学び」が機能するための唯一にして最大の要因なのだ。複数選者のローテーション制で、そうした信頼関係が築けるのかどうか。確かにそれは、なかなか難しい問題であろう。

(以上はすべて松村個人の考えであり、塔短歌会とは一切関係ありません。もし何かご意見等がございましたら、松村個人にお伝え下さい)

posted by 松村正直 at 06:24| Comment(4) | 短歌入門 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
おはようございます。
「選による学び」という言葉に感じいりました。学ぶために結社にいるということを再認識いたしました。
塔に限らず選ばれなかった事を選者がわに理由付けするのを目にする機会があり、それはちょっと違うのではないか、と違和感を感じていましたので深く共感すると同時に安心いたしました。
相性や傾向はあると思いますが、良い歌はそれをこえて選ばれていくと信じて学んで行きたいと思います。
最後まで待たずにツイッターで言及してしまいました事をお詫びいたします。
Posted by 谷口美生 at 2015年09月17日 08:01
谷口さま、コメントありがとうございます。
選歌も歌会も、そこからどれだけ学ぼうとするかでしょうね。
それによって、得られるものが違ってくるのだと思います。
何首採られたかで一喜一憂していても仕方がありません。
Posted by 松村正直 at 2015年09月17日 23:26
塔にはいってそろそろ1年たつ頃です。最初はどきどきしてページをめくっていたのですが、最近だんだん慣れてきてしまって・・。
このタイミングで選についてのご意見を拝見できてよかったと思っています。
落とされた歌についてもう少し立ち止まって考えるようにしてみます。
Posted by 小田桐 夕 at 2015年09月21日 00:01
落とされた歌について考えるのは大事なことですね。選があるというのが、結社誌と同人誌の最大の違いです。
ブログ「波と手紙」、時々読んでいます。また勉強会や歌会などでお会いしましょう。
Posted by 松村正直 at 2015年09月21日 06:48
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