2015年09月15日

選歌についての私感(その1)

結社の歌会の後の雑談の席などで、「Aさんには落とされたけど、もう一度出してみたらBさんは採ってくれた」とか「Cさんだといつも5首だけど、Dさんはたくさん採ってくれる」といった話を聞くことがある。「塔」には複数の選者がいて、ローテーションで回っているので、そういうことが起こり得る。

「選者の選は絶対ではない」と選者自身もよく言うし、誌面でもそのように説明することが多い。そうした考え方は、選者に落とされた歌にも救いの道が残されるという点で、多くの会員を慰めてもいるのだろう。

でも、本当にそれで良いのだろうか?

本来、選というのはもっと厳しくて、絶対的で、時に理不尽で暴力的なものでさえあったのではないか。○か×かの二者択一。△はない。採られなかった作品は、永遠に日の目を見ることもなく葬られる。しかも、どこが悪くて落とされたのか説明やアドバイスも一切ない。

そうした昔ながらの選のあり方が、現代では受け入れられにくくなっていることも事実だ。だから「絶対ではない」という話が出てくる。けれども、選を相対的なものと捉えている人は、はたして本当に選から学ぶことができるのだろうか。

選を軽く見る人は、選から学ぶことも少ないに違いない。選の結果を重く受け止めない限り、選から多くを学びとることはできないのだ。

posted by 松村正直 at 07:27| Comment(2) | 短歌入門 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
選歌についてのご意見、同感です。
落とされた歌を別の選者に出すというのは、
御法度ではないでしょうか。
Posted by 鈴木竹志 at 2015年09月15日 12:40
鈴木さん、コメントありがとうございます。
選歌については、いろいろな考え方があり、なかなか難しい問題ですね。
今回ちょっと思うところがあって、あと2回ほどこの話題で書いてみたいと思っています。
Posted by 松村正直 at 2015年09月16日 07:16
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