アイルランドとイギリスに滞在した13か月間に詠まれた歌をまとめた第3歌集。初出は「短歌研究」2011年1月号〜12年7月号。歌には日付と詞書きが付いている。
日本を離れて知る東日本大震災、街を燃やす暴動、そして娘の誕生など、慌ただしく過ぎて行く異国の暮らしの様子が歌に詠み留められている。また、滞在中に読み進めた『ユリシーズ』のことも、しばしばそこに重ね合わされているようだ。
以下、引用は歌のみで。
茶の濃さが恨みの濃さともし言はば、言はばバターの硬き食卓
安否を問ふは誰かの安否を問はぬこと寒風に舞ふ桜ひとひら
マグナ・カルタ手稿に波のごとき皺打ち寄せて王を呑み込みしかな
鱈つつむ衣の厚きゆふぐれをhibakushaといふ響きするどし
私たちは ロンドンにゐて よかつた と子を抱きて言ふ 抱き締めて言ふ
大家族眺めてねぶる腿の骨かつて否みき父となること
たつぷりと乳を詰めこみ児の腹はホタルイカかとつくづく思ふ
汗ばめる髪に苺の香りして児はわが胸をこころみに吸ふ
くらやみに潤ふごとく立つ妻の奥に火は燃ゆ正論の火は
うすやみに眠る命ゆ離れゆくひとよ噴きやまぬ乳をおさへて
5首目には
5/20 セント・パンクラスで、日本人母親の「なかよし会」。
という詞書きが付いている。福島の原発事故による放射能漏れを踏まえての歌である。福島(日本)から遠く離れた地にいることに安堵する母親たちの姿。それは同時に、福島やその近くに暮らす母子の姿をも浮かび上がらせる。句ごとに置かれた一字空けが、そうした複雑な心情をよく滲ませている。
ところどころ歌の後に散文が続く場合があるのだが、それが次の歌の方につながっているように見えてしまうのが、レイアウト的に気になった。例えば208ページの最初の「関東大震災・・・」という部分は、207ページの最後にあった方が良いのではないだろうか。
2015年8月30日、短歌研究社、2800円。