2015年08月30日

竹尾忠吉という歌人

竹尾忠吉の第4歌集『朝雨』(昭和22年)を読んでいる。
昭和17年、18年に樺太を訪れた時の歌が載っているのだ。

敷香を発(た)ち島横切らむ朝あけにフレップの実を摘みて噛み居り
密林の右に左にひらけくる山火(やまび)の跡は年経(ふ)りてをり
遥けくも来りてあはれ夏草の繁き樺太の旅も終りぬ

歌としては、どれもどうということもない。
平凡な歌と言っていいだろう。

竹尾忠吉(1897―1978)は島木赤彦に師事し、戦前は「アララギ」の選者も務めた歌人であるが、今ではほとんど名前を聞くことがない。ごくごく普通の歌人に過ぎない。でも、この「普通」というのが、意外に大切なのである。

新しき国興るさまをラヂオ伝ふ亡ぶるよりもあはれなるかな
             土屋文明『山谷集』
新しき国興りゐる奉天より語りくるこゑは夜ごとにきこゆ
             竹尾忠吉(「アララギ」昭和7年4月号)
遺棄死体数百といひ数千といふいのちをふたつもちしものなし
             土岐善麿『六月』
遺棄したる死体数千といふ支那は戦死を如何に取扱ふならむ
             竹尾忠吉(「アララギ」昭和12年11月号)

土屋文明と土岐善麿の歌はどちらも有名な一首であるが、同じ時期に竹尾忠吉が詠んだ(平凡な)歌と比較すると、彼らの歌のすごさがよくわかる。時代を超えて今も残っている理由がはっきりする。

おそらく竹尾のような歌は当時無数に詠まれたのだろう。その中にあって、文明や善麿の歌は異色であったに違いない。それは、彼らの歌だけを見ていてもわからないことで、竹尾のような「普通」の歌人との比較を通じて、初めて見えてくることなのである。

(竹尾さん、失礼な書き方ですみません。)

posted by 松村正直 at 14:23| Comment(2) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私、短歌のようなものを作っています。
作るときはいつも、私はこの歌を作って何がいいたいんだろう、って考えています。
いい歌は作れていません。
でもいつか、いい歌が作れたら、私が自分を肯定できる歌が作れたら嬉しい、と思っています。
きっとそんな歌はできないと本当は自分でもわかっているのですが。

世に残る歌人の引き立て役(?)にさえなれない私。
このブログを読んでも、凹みませんでした。不思議です。

世に残す歌を意識していないからでしょうか。

私は自分にしか見ていないってことでしょうか。

いろいろと考えるきっかけを、ありがとうございました(*^^*)
Posted by もも at 2015年09月01日 20:49
ブログの書き方がちょっと良くなかったのかもしれませんね。私も別に「世に残る歌」「世に残す歌」だけが大事だと思っているわけではないのです。

日々多くの人が自分の歌を詠んでいることそのものに大きな価値があると思っています。
Posted by 松村正直 at 2015年09月02日 08:05
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