2004年から2010年までの作品406首を収める。
遠き人と話す電話の切りぎはにまつげをふせるほどの間があり
卵四つひといきにつかふ料理にて黄金色の油さわだつ
ひややかにローションのびてなにかしらてのひらうすくめくれるここち
木管の一人にたのむ そこ切つてください、ロマン派ではないので
あしもとに眠れる犬の夢のなかわがねむりたり犬のあしもとに
ちりちりと炒られた花を落としゐるさるすべり まだ粗き日ざしに
午後ずつと歩いてゐたり音たてて耳の中をゆく水路に添ひて
人間の死が棒となり立つてゐるグラフありたり戦争ののち
魚に降る雪はるかなれふる塩のなかにゆめみる鱈という文字
最後までママと呼びゐしその人を母と書くたびゐなくなるママ
1首目、最後に名残りを惜しむようなわずかな間がある。「まつげをふせるほど」という比喩がいい。
3首目、「ローション」以外すべてひらがな。塗る時の感触を手の皮が「めくれるここち」と捉えたのが面白い。
4首目、三句以下に句跨りがあって韻律が楽しい。「そこ切つて/ください、ロマン/派ではないので」。
5首目、犬の見る夢の中で私が見る夢の・・・と、永遠に入れ子になっていくような歌。
6首目、「ちりちりと炒られた」が散った百日紅の様子をうまく描いている。
9首目、まな板の魚に振り塩をしているところ。「ふる」が「降る」と「振る」の両方の意味になっている。「鱈」という文字の中にある「雪」のイメージを思い浮かべながら。
10首目、亡くなった母の歌。挽歌の中に「母」と書くたびに、どこかよそよそしい感じがしてしまうのだろう。
2015年5月15日、砂子屋書房、2500円。
作者は音楽家、演奏のご案内をいただいたのだが行けなくて残念だった。この歌、仏教的なものをいだく。魚に降る雪はるかなれ、ははるかな浄土を思いうかべる。塩をふることによりわれわれはご馳走の恩恵に蒙る。与えられた自然の恵みは至福であり鱈にとってはわが身を与えることにより仏になることである。雪の清らかな世界が存在する。