副題は「北方の原形」。
1986年に文藝春秋社から刊行された単行本の文庫化。
ロシアという巨大な隣国をどのように理解すれば良いのかという観点から書かれた歴史エッセイ。それほど長くないエッセイ集であるが、歴史というものの醍醐味を十二分に感じさせる内容となっている。
体制がどうであれ、その国が、固有の国土と民族と歴史的連続性をもっているかぎり、原形というものは変わりようがない、と私は思っている。逆にいえば、体制の如何をとわず、不変なものをとりだすものが、原形に触れるという作業でもある。
この本で司馬が一貫して追求するのは、ロシアの原形とは何かということである。そのために広い視野に立って歴史をたどっていく。
ヨーロッパを真にヨーロッパたらしめたルネサンスの二百年という間、ロシアはひとり「タタールのくびき」によって、その動き、影響から遮断されつづけたのです。
火器の普及によって、騎馬軍の優位の時代はおわり、これがために遊牧国家は農業地帯の征服といううまみをうしなったのである。
欧露というみじかい右腕をまわして長大な左腕のシベリアの痒みを掻こうとする場合、右腕の寸法が足りず、たえずむりな体形をとったり、不自然な運動をせざるをえなくなった。
この本が書かれたのは、まだソ連が崩壊する前のことで、もう30年近い歳月が経っている。けれども、ここに描かれたロシアの原形はおそらく今も変らない。昨今のクリミア半島の問題や、日本とロシアの関係を考える際にも、有効であり続けている。
ソ連には、シベリアがある。そのそばに、日本の島々が弧をえがいている。日本が引越しすることができないかぎり、この隣人とうまくつきあってゆくしかない。
1989年6月10日第1刷、2012年2月15日第27刷、文春文庫、505円。