テーマは「竹山広―戦後七十年」。
160名くらいの方が集まって、内容的にも非常に濃い4時間であった。
水のへに到り得し手をうち重ねいづれが先に死にし母と子 『とこしへの川』
涙すすりて黙禱に入る遺族らを待ち構へゐしものらは撮りぬ
人に語ることならねども混葬の火中にひらきゆきしてのひら
戦争をにくしむわれら戦争をたたへしごとくには激しえず 『葉桜の丘』
おそろしきことぞ思ほゆ原爆ののちなほわれに戦意ありにき 『残響』
一分ときめてぬか俯す黙禱の「終り」といへばみな終るなり 『千日千夜』
一番印象に残ったのは、パネリストの馬場昭徳さんが壇上で竹山広の歌を何首もすらすらと暗誦したこと。懇親会の時にお聞きしたら600首は覚えているそうで、「少なくとも300首は覚えていなくちゃ、師事なんて言えないよ」とおっしゃる。
300首か・・・。
その数に驚きつつも、本当にその通りだよなと思う。
馬場氏の300首のすらすら覚えていることは篤い師への思いであろう。わたしの結社のひとで師の歌を見ないというひとがある。芸術の世界において師の亜流の作品ほどつまらないものはない。その作品はいわゆる出藍の誉れであらねばならない。それでこそ、師は喜んでくださるでしょう。竹山広の歌はよく饒舌を制した表現で人間性が窺がえる。このような歌風が薫陶なされるならばわが珠玉となるだろう。