2015年07月07日

『釋迢空ノート』のつづき

この本を読んであらためて感じたのは、迢空と大阪の関わりの深さである。
ノートは全10章から成っているが、ノート7には「大阪」という題が付いている。

迢空と天王寺中学で同級だった辰馬桂二の話のなかに、こんなくだりがある。

昭和初年、人望もあつく、地元同業者から推されて大阪府会議員となり、任期中、四十三歳で過労のため倒れた。臨終の脈をとったのは、演劇評論家高安吸江として高名であった主治医高安六郎で、父の代から親しかった。いわば、大阪の裕福な商家の、趣味のよい、教養あるダンナ衆のひとりだったわけである。

ここに出てくる「高安六郎(吸江)」とは、高安国世の叔父である。
高安国世の姉・石本美佐保の『メモワール・近くて遠い八〇年』の中では、次のように書かれている。

内科部長の六郎叔父さんは話がとても面白い人で、文筆家、演劇評論家としても知られ、いろいろ著書(「光悦の謡本」)もある。そういった関係で歌舞伎役者や文楽の連中も、病気の時は高安病院に入院していた。

釈迢空と高安国世、まったく接点がないように見える二人だが、実は生まれ育った環境など、いくつもの共通点があるようだ。

posted by 松村正直 at 22:40| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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