2015年07月01日

『ひとびとの跫音』のつづき

この本が書かれたのは昭和56年、今から30年以上前のことだ。
当時と今とで、いくつか状況の変っていることがある。

どの子規研究書にも律のその後については書かれていない。

子規の死後、妹の律がどのような生涯を送ったか、今では詳しくわかっている。けれども、当時はそうではなかったようだ。

軒下に、ここが子規の旧居であると識した東京都の表示が出ているものの、いまは他の人がすんでいるために入りにくく、私もついぞ入ったことがない。

現在、子規庵として一般に公開されている建物も、当時は公開されていなかったのである。

他に、印象に残った話を2つほど。

もともと大原姓であった拓川が明治十二年、ながく廃家になっていた加藤氏を継いだのは、一家の当主や長男は鎮台兵にとられずに済むという徴兵のがれのためで、こういう忌避法はこの時代の常識になっていた。

江戸期の武家の家の躾のひとつは、走らぬことであった。にわか雨などに遭って走りだすというのは中間や小者のすることであり、武士のすることではないとされ、そういう風儀が明治期にもうけつがれた。

こんな話も読むのも歴史を知る楽しさであろう。

posted by 松村正直 at 07:58| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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