真中さんの歌集には、他の歌人の作品を踏まえて詠まれた歌がよく出てくる。現代的な本歌取りと言っていいだろう。いくつか気が付いたものを挙げてみる。
いまいましき小便の音はわが息子小便の音ここに聞こゆる
『火光』
朝食の卓にまでどうどうと聞こえ来て息子は尿(いばり)までいまいましけれ
永田和宏 『響庭』
一冊をぬきたるのみにあなあやふなだれおつるを書物といへり
『火光』
背を抱けば四肢かろうじて耐えているなだれおつるを紅葉と呼べり
永田和宏 『メビウスの地平』
未使用ビット計算しつつ積みあげるバッファにふるき恐怖もろとも
『火光』
1001二人のふ10る0010い恐怖をかた101100り0
加藤治郎 『マイ・ロマンサー』
とっぷりと水風呂につかることもなくてそそくさとシャワーを終えつ
『火光』
水風呂にみずみちたればとっぷりとくれてうたえるただ麦畑
村木道彦 『天唇』
帰りてをゆかな炉の辺に灰寄せて火をいましむる人のかたへに
『火光』
旗は紅き小林(おばやし)なして移れども帰りてをゆかな病むものの
辺(へ)に 岡井隆 『土地よ、痛みを負え』
一村の失せるありさま一国の滅ぶありさまをまつぶさに見む
『火光』
おそらくは知らるるなけむ一兵の生きの有様をまつぶさに遂げむ
宮柊二 『山西省』
秋の野を打ちくだかれてゆくこともかの日と同じ 靴をよごして
『火光』
曼珠沙華のするどき象(かたち)夢にみしうちくだかれて秋ゆきぬべき
坪野哲久 『桜』
修行僧のやうなあなたと言はれつつ 道を説く こともせざりき
『火光』
やは肌のあつき血潮に触れも見でさびしからずや道を説く君
与謝野晶子 『みだれ髪』
未生なる闇にわたしが蹴り殺す兄と思ひつ 今しゆきあふ
『火光』
逝かせし子と生まれ来る子と未生なる闇のいづくにすれちがひしか
河野裕子 『ひるがほ』
メスのもとひらかれてゆく過去がありわが胎児らは闇に蹴り合ふ
中城ふみ子 『乳房喪失』
最近、真中さんの初期の歌集を読んでいるところだったので、
今回の紹介を興味深く読みました。
せっかく短歌を読んでいても、知識がないと
自分では本歌取りに気づかないことがあり、
今回のような記事はとても参考になります。
ブログの記事がお役に立ったようで良かったです。
他の歌人の本歌取り以外にも、例えば『火光』の
「名瀬震度2震源は地中海」(一九九九年八月十七日)は誤報であつた。
万の死を思はざりけるかの日のことよぎりしがただに息つめてしばらく
という歌を読むと、第2歌集『エウラキロン』(2004年)に収められている
名瀬震度2震源は地中海てふ電文を確かめしものの万の死を思はず
を思い出したりします。
そういうのも歌集を読む楽しみの一つですね。