2015年06月17日

真中朋久歌集 『火光』 (その3)

怒りつつ怒りしづめつつありし日の余燼に足をふみ入るるなかれ
死者のこと語りあひつつ互みには触れ得ざることもあるべし
死んだふりしてゐたる日々生きてゐるふりしてゐたる日々といづれ
生きなほすことはできぬをいくたびもひきもどされてゆくひとつ椅子
照りかげり夜には冷える岩壁のほろほろと風化してゆく速さ
とろとろとあふれてやまぬ走井(はしりゐ)にくちつけてをりきあつき走井
つきはなされおのづからながれにのるまでのひとときのことひとのひとよは
心からたのしむといふことあらず たのしまなかつたといふにもあらず
社宅跡に社宅は建たず発電用パネルならんで昼をはたらく
感情をおさへては駄目よ とめどなく沈みゆく感情であつても

2首目、同じ死者について語り合っていても誰とも共有できない部分がある。生者と死者の関わりは常に1対1のものなのだ。
4首目、自らの人生に思いを馳せるたびに、脳裏に浮かぶ原点のような場所。
5首目、激しい温度差によってぼろぼろと崩れていく岩壁は、記憶の風化をも表しているようだ。
6首目、8首目は性的なイメージを喚起する歌。
7首目、漢字で表記すれば「突き放され自ずから流れに乗るまでの一時のこと人の一生は」となろうか。命の大きな循環に乗るまで、あれこれもがくのが人生なのかもしれない。
9首目、かつては多くの社宅が立ち並んでいた場所。今はもう社宅の時代ではなく、太陽光発電の敷地として活用されている。

そう言えば、以前グンゼの企業城下町として栄えた綾部に行った時も、社宅が壊されたり、無人の寮が残っている光景を目にしたことがある。
http://matsutanka.seesaa.net/article/407813251.html

posted by 松村正直 at 07:36| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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