オロカなるをオロカなりといふオロカしさものいはぬことが賢にあらねど
東京にただよふごとくゐる父と思ひをらむか と思ひただよふ
遅くなつたり早くなつたりすることをくりかへしつつもうすぐ冬だ
谷あひに今しさし入る朝の陽のまぶしくて町の翳を深くす
杉山を越えて来たりし朝の陽は沼のおもての靄にふれたり
大阪はほとんどがクマゼミ
大阪のあかときがたの蕭蕭と焼焼と やがてShoah、Shoahと思ひつ
アスファルト滲み流れたるごとき跡くろぐろとありバスが転回す
やがて殺すこころと思へばしばらくを明るませをり夜の水の辺
地下のつとめ地上のつとめこのさきも引き裂かれつつ生きてゆくべし
沖をゆくしろき船影この時間はほくれん丸か第二ほくれん丸か
2首目、家族の住む大阪と単身赴任の東京と半々の生活を送る作者。子どもたちの思い描く父親の姿を想像する。
3首目は日の長さのことだろうか。気が付けば冬が近づいている。
5首目は映像を見るような美しい歌。山の木々をかすめて伸びる光の線が、靄に当って乳白色に輝く。
6首目は東京と大阪の蝉の違いを詠んだ歌。「シャーシャー」という圧倒的な熊蝉の鳴き声から、音の連想を経て、ホロコーストの映画「Shoah」へと至る展開に驚かされる。
7首目、バスの終点にある転回場。目に浮かぶような描写である。
10首目、「ほくれん」は北海道の農業協同組合。歌集の別のところに「かの日々には沖に航路を離しゐし牛乳運搬船白き巨船(おほふね)」という歌がある。おそらく、それと同じ船なのだろう。原発事故の後しばらくは、陸地から離れた所を航行していたのだ。