2015年06月13日

天田愚庵の柿

『子規、最後の八年』を読んでいて気になった箇所が一つ。

明治三十年十月十日、旧知の京都の禅僧天田愚庵(あまたぐあん)が人を介して、桃山に結んだ庵の庭になった大きな柿を十五個ばかり届けてきた。釣鐘という名のその大きな柿を子規は大いに喜んだ。

天田愚庵が伏見桃山に移り住んだのは明治33年のこと。だから、この時の柿は「桃山に結んだ庵の庭」のものではない。以前の記事「天田愚庵(その1)」(2011年4月10日)に書いたように、京都清水寺近くの産寧坂に住んでいた時のものである。

posted by 松村正直 at 21:50| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。