我はユダヤ人なりと静かに夫人言ひたれば図らず心ゆらぎたり 『真実』
先の事は考へられぬといふ言葉今日はきくアメリカ士官の美しき妻に
といった歌も、サンドール夫人を詠んだものと見ていいだろう。
さらに、第3歌集『年輪』の巻頭にある「光沁む雲」の一連にも、このサンドール夫人は関わっているのではないかと私は考えている。
サンドール夫人とは一体誰なのか?
高安とどのような関係であったのか?
以前、『高安国世の手紙』を書いた際にいろいろ調べたのだが、結局はっきりしたことはわからなかった。進駐軍の下級将校の妻でユダヤ人であるという手掛かりしかないのだ。
けれども今回、接収住宅の話を聴いて、サンドール夫人が北白川小倉町近辺の接収住宅に住んでいた可能性が高いことに気が付いた。それを新たな手掛かりとして、サンドール夫人の正体がつかめるかもしれない。
実際に、栗原邸を接収して住んだ軍人も、ジェームズ・アップルワイト中尉とその家族であったことが判明している。京都府立総合資料館には当時の資料が数多く残されているらしい。
一度、調べに行こう。