たとえば、北白川小倉町周辺は日本土地商事株式会社が大正15年に分譲を開始した宅地で、京大人文科学研究所に隣接し、大学教職員が多数住まいを構えたことで知られる。
高安国世は昭和17年に第三高等学校の教授となり、兵庫県西宮市からこの京都市左京区北白川小倉町に転居した。その後、亡くなるまでこの地で過ごしている。
高安の家は占領軍による接収は受けていないが、この地域に接収住宅が多かったという事実は、高安の次のような作品を読み解く手掛かりになるだろう。
汚れたる服にためらひ立ちたればグッドイーヴニングと言ひて来るサンドール夫妻 『真実』
ボタン取れ胸汚れたる子を恥ぢて立止まるああサンドール夫人が来る
憂持つサンドール夫人の顔自動車の窓に見しより暫しの空想
昭和23年の作品である。