2015年06月05日

占領軍による接収住宅(その2)

引き続き、玉田浩之氏の「占領軍による接収住宅と接収施設地図の建築史的分析」より。

たとえば、北白川小倉町周辺は日本土地商事株式会社が大正15年に分譲を開始した宅地で、京大人文科学研究所に隣接し、大学教職員が多数住まいを構えたことで知られる。

高安国世は昭和17年に第三高等学校の教授となり、兵庫県西宮市からこの京都市左京区北白川小倉町に転居した。その後、亡くなるまでこの地で過ごしている。

高安の家は占領軍による接収は受けていないが、この地域に接収住宅が多かったという事実は、高安の次のような作品を読み解く手掛かりになるだろう。

汚れたる服にためらひ立ちたればグッドイーヴニングと言ひて来るサンドール夫妻                         『真実』
ボタン取れ胸汚れたる子を恥ぢて立止まるああサンドール夫人が来る
憂持つサンドール夫人の顔自動車の窓に見しより暫しの空想

昭和23年の作品である。

posted by 松村正直 at 07:55| Comment(0) | 高安国世 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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