2015年06月04日

占領軍による接収住宅(その1)

栗原邸のギャラリートークで玉田浩之氏(大手前大学准教授)が占領軍による接収住宅の話をしたのは、この栗原邸が戦後に接収を受けたからである。接収に際しては浴室がタイル張りの洋式にされたほか、部屋の壁が黄色や水色のペンキで塗られるといった改修を受けた。

建物の保存・修復にあたっては、ペンキをカッターで剥がすなどして、戦後の改修部分をできるだけ建築当初の状態に戻すことも行われている。

当日配布された資料「占領軍による接収住宅と接収施設地図の建築史的分析」には、京都で接収住宅の多かった地域が記されている。

そのほかの集積している地区としては、北白川小倉町(9戸)、下鴨地区(13戸)が挙げられる。また、東山区の今熊野北日吉町(10戸)や山科安珠(6戸)にも集中している。いずれも大正期から昭和初期にかけて土地会社や土地区画整理組合施行によって開発された分譲住宅地である。

「北白川小倉町」と言えば、高安国世の家があった場所だ。


posted by 松村正直 at 23:49| Comment(0) | 高安国世 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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