太平洋戦争開戦直前に当たる一九四一年春、柿生、鶴川界隈に「柿生離宮」を造営する計画が持ち上がったことがある。離宮というのは名目で、実際には皇居の移転が計画されていたのだ。
この話は初めて知った。私は生まれ育ったのが小田急線の玉川学園前なので、柿生や鶴川といった地名は懐かしい。
いつの日にか、対馬、宗谷、間宮の三海峡がトンネルでつながり、日本海を取り巻く壮大な循環線が開通する日が来ることを、私は夢見ている。必ずやそれは、東アジアの平和と安定に寄与すると考えられるからだ。
「日本―ロシア―中国―北朝鮮―韓国―日本」を循環する国際列車ということになろう。現時点では夢物語にしか思われないが、そうした可能性を考えるのは大事なことにちがいない。交通の変化は人々に意識の変化をもたらすからだ。
この夏、サハリンへ行く予定なのだが、日本―サハリンの交通事情は残念ながら年々悪くなっている。宗谷海峡を渡る稚内―コルサコフの船便も今年で廃止されてしまうらしい。札幌―ユジノサハリンスクの航空便は残っているものの、函館便は廃止されてしまったし、成田便も存続が際どい状況になっている。
宗谷海峡をもしトンネルで渡ることができたら、サハリンは今よりもはるかに身近な存在になることだろう。
関東にものすごく疎い私は、もしや?、と「鶴見線、その他」のページを捲りましたがやっぱりちがいました。
表紙はすでにボロボロで、外してしまいました・・・
暗唱、いくつか出来ます(意味もない自慢)。
昔は部分的鉄子でした。乗り鉄。
キリンビール横浜工場を見学したり、JR鶴見線に乗って終点の海芝浦駅まで行ったりと、なかなか楽しい内容でした。