標高1600メートルくらいの山脈を越える道で、途中には「樺太十五勝」にも数えられた景勝地「豊仙峡」「八眺嶺」(はっちょうれい)などがあった。
と書いた。「1600メートルというと、かなりの標高だな」と思っていたのだが、これは間違いであった。
古い樺太地図に記された数値を見て「1600メートル」と思ったのだが、同じ地図の敷香岳を見ると「4536」とある。4536メートルもあるはずがない。調べてみると敷香岳の高さは1375メートルであった。
他の山も調べてみる。
鈴谷岳「3454」 1045メートル
野田寒岳「3390」 1027メートル
釜伏山「3586」 1087メートル
いずれも3倍以上の数値になっている。
最初は、フィート(1フィートは30.48センチ)表示なのかと思って計算してみると、敷香岳は4536×0.3048=1383メートルになる。正しい高さ1375メートルにほぼ一致するが、微妙に差がある。他の山も同様だ。
その後、尺(1尺は10/33メートル)表示なのだと気が付いた。4536×10/33=1375メートルとなり、ピッタリである。
古い樺太地図に書かれていた数字は、メートルではなく尺表示だったのだ。
「大豊線」が越えていた山脈も標高480メートルくらいということになる。