だが恥ずかしながら一番印象に残っているのは、近藤芳美氏が仕事で長期海外旅行に出掛けた留守中の、京都嵐山は公務員保養施設「花の家」での高安国世ほか「塔」一門との合同夏期大会だ。芸のない私と石田比呂志はここの大広間で相撲を取り、見掛けはちっとも強そうでない私が一番勝ち、次は用心した彼が引き分けに持ち込んだことである。
「大広間で相撲を取り」というのが、何とも楽しい。
今ではこういう光景はあまり見られないだろう。
ここで気になるのが「近藤芳美氏が仕事で長期海外旅行に出掛けた留守中の」という部分。1965年に京都「花の家」で行われた塔・未来合同全国大会には近藤芳美も参加している。「塔」1965年10月号の記録に残っているので間違いない。
実は「塔」と「未来」の合同大会は1962年に長野県諏訪市の「湖泉荘」でも行われており、田井の記憶はそれと混同しているのではないか。
未来短歌会編『「未来」と現代短歌』には、この大会の写真が載っている。
キャプションには
昭和37年8月12日 諏訪大会 下諏訪にて 8月 近藤芳美シベリア、ヨーロッパへ旅行。
とあって、田井の文章と辻褄が合う。
写真に近藤は写っておらず、前列中央には高安国世が座っている。