1986年に岩波書店から刊行された単行本の文庫化。
狂歌を通じて見た日本人論といった内容となっている。
登場するのは蜀山人(四方赤良)、唐衣橘州、朱楽菅江、元木網、智恵内子、節松嫁嫁、宿屋飯盛、鹿都部真顔といった作者。最初は小さな同人誌的なグループから始まった江戸狂歌が、天明期に出版業と結び付いて大流行を見せ、やがて政治的な圧力を受けるまでに至る経過が記されている。
ぼくは昔の文学作品が、すべて文語文で書かれていたと考えるのは、少しはやとちりであったことに気がついた。(…)同じ時代に詠まれたものであれ、短歌はより文語的であり、狂歌はより口語的だったのだ。
こうした指摘は、短歌史を考える上でも大事な点だろう。「短歌往来」3月号のアンケートでも安田純生が吉岡生夫著『狂歌逍遥』を取り上げて
狂歌(とりわけ近世上方の狂歌)は、従来、歌人たちに、あまり読まれて来なかったのではないか。あまり読まれずに、卑俗なものとして遠ざけられて来たようにも思える。しかし、近代短歌の成立を考えるとき、狂歌は無視できないのであって、その意味でも、こういった書物の刊行はありがたいことである。
と記している。「和歌から近代短歌」という流れのほかに、「狂歌から近代短歌」という流れがあったのだ。
ただし、安田や吉岡が再評価を目指しているのは上方の狂歌であって、「天明狂歌」と呼ばれる江戸狂歌ではない。現在では狂歌と言えば天明狂歌の滑稽・諧謔・風刺といったイメージばかりが強いので、近代短歌とのつながりが見えにくくなってしまっている。
1997年3月14日、岩波同時代ライブラリー、900円。