その中に「鳴球」という人物がいる。説明書きには
岩田鳴球(明治7〜昭和11) 石川県生。本名久太郎。俳人。三井物産台北支店勤務となり渡台。「相思樹」主宰。
と書かれている。
彼は、後に大本(教)に入信して幹部の一人として活躍した人物である。昭和3年の出口王仁三郎の樺太行きにも宣伝使として同行しており、王仁三郎の『東北日記』にしばしば登場する。彼の俳句も載っている。
坐礁船解かれ行く朝寒夜寒(真岡)
自動車に迫る山火や秋の風(豊真横断)
この旅から7年後の昭和10年、第二次大本事件が起きる。岩田は王仁三郎らとともに逮捕され、翌年獄中で亡くなっている。62歳であった。
元気なりし岩田は敢ゑなく身失せけり 無法の攻苦に逢ひたる果てを
出口王仁三郎『朝嵐』