2015年02月14日

岩田鳴球のこと

子規庵の展示室に、「子規庵句会写生図」という絵があった。子規を中心に、多くの弟子たちが句会をしている場面を描いたもので、(高浜)虚子、(河東)碧梧桐、(内藤)鳴雪、(寒川)鼠骨、(五百木)瓢亭らが描かれている。

その中に「鳴球」という人物がいる。説明書きには

岩田鳴球(明治7〜昭和11) 石川県生。本名久太郎。俳人。三井物産台北支店勤務となり渡台。「相思樹」主宰。

と書かれている。

彼は、後に大本(教)に入信して幹部の一人として活躍した人物である。昭和3年の出口王仁三郎の樺太行きにも宣伝使として同行しており、王仁三郎の『東北日記』にしばしば登場する。彼の俳句も載っている。

坐礁船解かれ行く朝寒夜寒(真岡)
自動車に迫る山火や秋の風(豊真横断)

この旅から7年後の昭和10年、第二次大本事件が起きる。岩田は王仁三郎らとともに逮捕され、翌年獄中で亡くなっている。62歳であった。

元気なりし岩田は敢ゑなく身失せけり 無法の攻苦に逢ひたる果てを
               出口王仁三郎『朝嵐』


posted by 松村正直 at 06:56| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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