高安国世は政治的なできごととは距離を置くことの多かった人であるが、60年安保の時には、かなり政治的な発言が見られる。
当時の「塔」は黒住嘉輝、清原日出夫らを中心に、かなり政治的な立場を鮮明にした集団であった。1960年2・3月号には清原の代表作ともなった「不戦祭」が掲載されるとともに、特集「生活と政治」が組まれ、その後も政治をめぐる作品や文章がしばしば誌面に掲載されている。
高安もまた例外ではなかった。『高安国世の手紙』の「六〇年安保とデモ」にも書いた通り、この時期、高安は「塔」の編集後記で安保条約改定反対の立場を述べたり、強行採決に対する憤りを記したりしている。
最近になって入手した資料に「新日本歌人」1960年7月号に掲載された「塔短歌会メッセージ」という文章がある。「昭和35年5月22日 塔短歌会代表 高安国世」の名前で発表されたものだ。
2015年02月09日
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