他のメンバーから薦められた歌集を読んで、評論を書くというもの。それだけでなく、その評論を読んで、さらに薦めた人がその評を書いている。
こういう機会がなかったら絶対に読まなかったというような歌集との出会いがあり、また評論評も単に同意したり褒めたりするだけでなく、「虫武の書き方はややミスリーディングなのではないかと感じた」(七戸雅人)、「この章はもう少しひとつひとつを詳細に追ってもよかったと思う」(虫武一俊)といった意見もあって、相互のやり取りによる深みを感じさせる。
以下、印象に残った作品を引く。
肩までをお湯に浸してこれまでとこれからのゆるいつなぎ目に今日
佐伯 紺
そしてまたあなたはしろい足首をさらして春の鞦韆に立つ
坂井ユリ
火縄銃渡来せしとき屋久島のいかなる耳はそばだちにけむ
七戸雅人
公園に白いつつじがつつましくひらく力のなかを会いにいく
(そういうのはじめてだからもうちょっと待って。)外には樹を濡らす雨
スーパーの青果売り場にアボカドがきらめいていてぼくは手に取る
阿波野巧也
「parents」エスが消えた日 伸びきった絆創膏が身体に溶ける
母親が父親もして母親もしているきっと花を枯らして
上本彩加
佐伯作品は初二句の景と三句以下の心情との照応がうまい。
坂井作品は初句「そしてまた」がおもしろく「足首をさらして」の描写も良い。
七戸作品は、種子島に火縄銃が渡来した時に、隣りの屋久島の人(あるいは猿や鹿や樹木かもしれない)はどんなふうにその銃声を聞いただろうかという想像の歌。屋久島自体が耳をそばだてて聞いているような面白さがある。
阿波野作品は瑞々しい相聞歌。一首目、「つつじ」「つつましく」の音の響きが良く、結句の字余りに力がある。二首目、ちょっと読むのが照れくさいほどの初々しさ。三首目は「きらめいていて」→「ぼくは」のかすかなねじれに面白さがある。
上本作品は両親の離婚を読んだ歌に惹かれた。一首目は上句が鮮やかにその事実を伝えている。二首目の「きっと花を枯らして」は自分の夢や望みを犠牲にしてといったニュアンスだろう。僕の両親も別れているので、この寂しさは胸にしみる。
2014年11月24日発行、500円。