まずは印象に残った作品から。
墜落機を見にゆくような、わるいことしているつもりのふたりだったね
安田 茜
もうずっと目蓋に夏が居座ってまぶしい 小鍋にチャイを煮出して
稲本友香
べろべろに酒を飲みつつ何らかの方眼である部屋を見つめる
村松昌吉
ひそやかな森に似ている理科室で蝶の時間を永遠にする
北なづ菜
バス停がいくつも生えてくるような雨だねきつと海へ向かふね
濱松哲朗
さういへば白い桔梗が咲いてゐた花といふには現実的な
柳 文仁
安田作品は比喩がおもしろく、相手に語りかけるような文体に味がある。
稲本作品は「目蓋に夏が居座って」に実感があり上句と下句の取り合せもいい。
村松作品は酔った目に映る四角い部屋。前川佐美雄風である。
北作品は蝶の標本を作っているところか。静けさを感じる。
濱松作品は雨が降ってバス停が生えるという発想が楽しい。
柳作品は「現実的」という言葉が桔梗の雰囲気をよく表している。
濱松哲朗の評論「抽象性と自意識―小野茂樹の「整流器」と「私」に関する試論」は、小野茂樹が自らの作風について述べた「整流器」という言葉を手掛かりに、小野の歌の作り方や歌集のまとめ方を分析したもの。その分析を通じて、人物と作者と作中主体の関係や小野作品の「私」のあり方を考察している。
作者は自らの作品の読者となった時に初めて、おのれの作風を自覚するのであって、その逆ではない。
作品は解釈を誘発することはできるが、解釈を限定することはできないのである。
こうした箴言風の言い切りが、読んでいて心地よい。
2014年11月24日発行、500円。