連結を終りし貨車はつぎつぎに伝はりてゆく連結の音 『帰潮』
この歌について、尾崎は次のように書く。
一首目では、貨車が連結器で繋がれた時の、一種の鉄の響きのような短い音響を捉えているのだが、「連結」の語を重ねて使い、その音がどうだとか、自分がどう思ったかなどのことは、一切言わないのである。同じ語をくり返して使うことの難しさは、短詩型の技術を知る者にとっては自明のことだが、その上、「つぎつぎに伝はりてゆく」と平易に言っていながら、その重量のある音響が一瞬ではなく、ある幅を持って伝わってくるのを、如実に感じさせる。見事な技術である。
「連結」という語の繰り返しにこの歌の特徴があるのは確かだろう。「見事な技術」というのも同感である。でも、技術について言うならば、一番肝腎なのは助詞の使い方ではないだろうか。
連結を終りし貨車はつぎつぎに伝はりてゆく連結の音
連結を終りし貨車につぎつぎと伝はりてゆく連結の音 (改作)
試みに助詞を2つ変えて改作を施してみた。このように改作すると、非常にわかりやすく、そしてつまらない歌になる。それだけ、助詞の力が大きいということだ。
本来「貨車は・・・連結の音」という言葉運びには、ねじれがある。読んだ時に違和感が残る。けれども、それがこの歌の味わいを生んでいるわけだ。このねじれに言及しないことには、この歌の技術を解説したことにならないと思うのだが、どうだろうか。
○短歌は技術・・・肝心なことは作者が何に感じてつくることだろう。
○心理の表現・・・具体であっても非具体でもよい。
○事実・・・真実でもありうる。
○詠嘆・・・作者、非作者でもある。
○貨車連結の歌
1)貨車は・・・何に伝わるのか、不明なところがある。
2)貨車に・・・状況がはっきりしてくる。
「細谷(ほそたに)は昼しづかなるひとときの青田の奥に雉のこゑする」「白鳥はちかきところにも安らかに水移りつつ鳴くこゑあはれ」など、助詞の使い方のおもしろい歌が佐太郎にはけっこうあります。