2014年11月30日

『佐太郎秀歌私見』のつづき

これは弟子が師について書く時の難しさだと思うのだが、この本にも少し佐太郎を賛美し過ぎのところがある。例えば、佐太郎の歌について述べている中で「天賦の才というべきである」「生来の感性というべきものであろう」「その天分は、天から授かったもの」などと書いては、結局何も言っていないのと同じことになってしまう。

連結を終りし貨車はつぎつぎに伝はりてゆく連結の音 『帰潮』

この歌について、尾崎は次のように書く。

一首目では、貨車が連結器で繋がれた時の、一種の鉄の響きのような短い音響を捉えているのだが、「連結」の語を重ねて使い、その音がどうだとか、自分がどう思ったかなどのことは、一切言わないのである。同じ語をくり返して使うことの難しさは、短詩型の技術を知る者にとっては自明のことだが、その上、「つぎつぎに伝はりてゆく」と平易に言っていながら、その重量のある音響が一瞬ではなく、ある幅を持って伝わってくるのを、如実に感じさせる。見事な技術である。

「連結」という語の繰り返しにこの歌の特徴があるのは確かだろう。「見事な技術」というのも同感である。でも、技術について言うならば、一番肝腎なのは助詞の使い方ではないだろうか。

連結を終りし貨車はつぎつぎに伝はりてゆく連結の音
連結を終りし貨車につぎつぎと伝はりてゆく連結の音 (改作)

試みに助詞を2つ変えて改作を施してみた。このように改作すると、非常にわかりやすく、そしてつまらない歌になる。それだけ、助詞の力が大きいということだ。

本来「貨車は・・・連結の音」という言葉運びには、ねじれがある。読んだ時に違和感が残る。けれども、それがこの歌の味わいを生んでいるわけだ。このねじれに言及しないことには、この歌の技術を解説したことにならないと思うのだが、どうだろうか。

posted by 松村正直 at 09:18| Comment(3) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
佐太郎秀歌私見について言葉たらずになるかもしれないがわたしの感じたことを。

○短歌は技術・・・肝心なことは作者が何に感じてつくることだろう。
○心理の表現・・・具体であっても非具体でもよい。
○事実・・・真実でもありうる。
○詠嘆・・・作者、非作者でもある。
○貨車連結の歌
 1)貨車は・・・何に伝わるのか、不明なところがある。
 2)貨車に・・・状況がはっきりしてくる。
Posted by 小川良秀 at 2014年11月30日 14:38
興味をそそられる記事が続きますね! 佐太郎の有名歌、これまであまり気にしたことがありませんでしたが、「貨車は」の「は」は確かにおもしろい使い方ですね。今西幹一さんあたりがどう説明しているか、気になります。先行研究の報告をぜひお願いします。
Posted by 中西亮太 at 2014年11月30日 22:00
佐太郎については、もっと詳しく研究したいと思うのですが、なかなか時間が取れません。いずれ手をつけてみたいですね。

「細谷(ほそたに)は昼しづかなるひとときの青田の奥に雉のこゑする」「白鳥はちかきところにも安らかに水移りつつ鳴くこゑあはれ」など、助詞の使い方のおもしろい歌が佐太郎にはけっこうあります。
Posted by 松村正直 at 2014年12月01日 15:29
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