例えば、〈たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ〉というのがありまして、これなんか、あちこちでよく引かれたりします。「たんぽぽのぽぽ」という言い方は、江戸時代の俳句にもしょっちゅう出て来る言い方で、(…)ある意味で、「たんぽぽのぽぽ」までは、今までの表現そのまま。ぼくがしたのは何かといえば、最後の「火事ですよ」と言っただけなんです。
この俳句については、河野裕子の「たんぽぽのぽぽのあたりをそっと撫で入り日は小さきひかりを収(しま)ふ」(『歳月』)の本歌取りだと思っていたので、「江戸時代の俳句にしょっちゅう出て来る言い方」というのに驚いた。
肝腎のその江戸時代の俳句というのが挙げられていないので、はっきりわからないのだが、「たんぽぽのぽぽのあたり」という言い方もあるのだろうか。少し調べてみたい話である。
現代らしい表現という思い込みがありますもんね。
江戸ではありませんが、加藤楸邨に
たんぽぽのぽぽと絮毛のたちにけり
があります。わりに有名なのでご存じかもしれませんが。
その後、少し調べたところ、坪内さんの「ねんてんの今日の一句」の2012年2月5日に
たんぽぽのぽぽともえ出る焼野かな
友久
という句がありました。1667年刊行の『続山井』に入っているとのこと。
http://sendan.kaisya.co.jp/nenten_ikkub12_0201.html
鑑賞文に「「たんぽぽのぽぽ」という言い方がはるかな昔にあったことは驚きだ」と書いているので、坪内さんもこの頃に初めて知ったのでしょう。
もうひとつ気になるのは「しょっちゅう」。私の手元にある歳時記には楸邨の句しか載っていないし、坪内さんが上記のページで挙げているのも一句のみ。「しょっちゅう」というからにはもっとたくさん例句がないといけないですよね。まあ坪内さんは見つけているのでしょうが。
しかし、坪内さん、焼野の句を見つけたときはちょっとショックだったんでしょうね。
この問題は、もう少し調べてみることにします。