青春が中年へリエゾンするあたりどんな蝶々が訪れてもいい
わが妻を時に見つめて歩みをり梅雨の晴間のかろき坂道
タクシーで越える軽便鉄道の枕木むかしは歩いたんだが
尖るとはやがてゆつくりと鈍(なま)るものしんしんと人を憎しむときも
たくさんの花の中から選ぶのだ時に葉みたいな花もまじるさ
戦時下の名古屋はいやに生(な)ま生ましくよみがへるのに 淡きは今日だ
暑苦しき白南風(しらはえ)のなかFAXを遣りかへりくるFAXを待つ
新年へ向かふ時間を細分して此処へ来てゐる絵をみるために
音(おと)だけの言葉つて無い。金色(こんじき)の輝きだけの葉がないやうに
わが病(やまひ)やうやく癒えて、などといふ常套句もて祝ふべからず
2012年7月から2014年8月までの作品349首を収めた第31歌集(第32作品集)。
文語・口語をまじえた自在な詠みぶりや、どんな素材でも歌にしてしまう修辞の力は健在である。この歌集では、そこに老いの寂しさや回想の懐かしさも加わって、独特な味わいを醸し出している。
1首目は「リエゾン」が面白い。青春がはっきり終わらないうちに中年が始まっている。
2首目は「時に」がいい。そこに深い愛情を感じる。
4首目は、結句まで来て初めて心の話であることがわかる。その語順がうまい。
5首目は「新百人一首(文藝春秋)に寄す」という一連にある歌。でも、単独でも十分に味わえる歌だと思う。
7首目は「FAXを/遣り・かへりくる」の句割れ・句跨りが効果的。「FAXを遣り/FAXを待つ」ではダメなのだ。
9首目、言葉は常に意味を伴ってしまう。〈調べ〉だけの短歌というものも、やはり無いのだろう。
歌集のあとがきに岡井は
ただ、わたし自身としては、世に問ふといつた気概はもう衰へてしまつてゐる。ごく個人的な興味にそそられて編んだ私家集といつた感じだ。
と記している。もちろん韜晦を含んだ言い方でそのまま受け取る必要はないのだが、それでもかつて『鵞卵亭』のあとがきに「もはや青年の心をうごかす文学は成就しがたく、ありていに言って数人の友人知己に見せるだけの私歌集なのだ」と書いた頃とは違って、ある程度、本音なのではないかという気がする。
その間には40年という歳月が流れたわけだ。
2014年11月19日、砂子屋書房、3000円。
梅雨の晴間のかろき坂道、がいい。妻とともの生き過ぎを感じられる。
わが妻を時に見つつし歩みをり梅雨の晴間のかろき坂道
見つめて・・・真実がありいいと思う。
見つつし・・・韻はいいのだが詩心欠く。