2014年11月12日

『きなげつの魚』の続き

キリンのちひさなあたまのなかにありながらキリマンジャロにうかぶ白雲
ひとに見せなば壊るるこころと知りながらときどきは人にみせては壊す
ぎやくくわうにくもの糸ほそくかがやけどそれら払ひてゆくわれあらぬ
霧のあさ霧をめくればみえてくるものつまらなしスカイツリーも
寒鯉のぢつとゐるその頭(づ)のなかに炎をあげてゐる本能寺
墓石は群れつつもきよりたもちゐてしんしんと雪にうもれてゆくも
ゆくりなく枯野へと鶴まひおりて風景が鶴一羽へちぢむ
足の爪ふかくこごみて切りながら小雨と気づきてゐたり背後は
あはれ蚊のしよぎやうむじやうのひらめきは掌につぶされしかたちとなりぬ
あさきねむりただよひながら淡きわれ醤油のにほひにまじりてめざむ

後半より10首。

1首目、ふるさとの景色を思い出しているのだろうか。「キリン」と「キリマンジャロ」の音が響き合う。
3首目は不思議な歌。私の身体がない。
5首目は「寒鯉」と「炎」のイメージの取り合わせが鮮烈だ。
7首目、下句の型破りな表現が場面を鮮やかに描き出している。
8首目はおそらく視覚や聴覚ではなく、気配で雨を感じているのだろう。
9首目は一瞬にして消えた命の最後の閃き。諸行無常のひらがな書きが効果的だ。

渡辺松男の歌を読む時には、読者も想像力やイメージを最大限に広げて読んでいく必要がある。そうすると、固く狭くなっていた頭がぐんぐん広がっていく感じがして心地良い。

posted by 松村正直 at 06:05| Comment(2) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
あはれ蚊のしよぎやうむじやうのひらめきは掌につぶされしかたちとなりぬ  渡辺松男

よく理解することができる。この、無常、は仏の教えのひとつ。(あとふたつは、苦、無我) 漢字、ひらがな、の表記が適切。

 前述の機関車の歌
○長く時間をかけて考えてみたい。
○ひとつには瞑想が必要になるかもしれない。
○かりん、の歌風が見られるのだが。
○この歌について、茂吉、白秋、啄木、牧水に尋ねてみたい。
Posted by 小川良秀 at 2014年11月12日 09:24
歌集というまとまりで読むと、だんだん渡辺松男さんの「ものの見方」や「感じ方」がわかってきて、そうすると一首一首の歌も読みやすくなっていきます。
そういう意味では、歌集で読むことが大事なのかもしれません。
Posted by 松村正直 at 2014年11月13日 08:19
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