第8歌集。
先月の毎日新聞の「短歌月評」にも取り上げたのだが、傑作である。
渡辺の歌集にはいくつか思い出がある。「塔」1999年11月号の「歌集探訪」で渡辺の第2歌集『泡宇宙の蛙』について書いたのが、私が初めて書いた短歌の文章だった。
その時に、第1歌集『寒気氾濫』も読み、以後、『歩く仏像』『けやき少年』『〈空き部屋〉』『自転車の籠の豚』『蝶』と、歌集が刊行されるたびに読んできた。
途中、渡辺の歌の飛躍の大きさや独特な文体に付いて行けない気がしたこともあったのだが、前歌集『蝶』、そしてこの『きなげつの魚』と、再び強烈な魅力を覚えるようになってきた。
あしあとのなんまん億を解放しなきがらとなりしきみのあなうら
わがいまのすべてはきみの死後なればみる花々にかげひとつなし
千年の牧場(まきば)はたえず牛の雲おりきて牛となりて草はむ
こほりたる枯蓮の沼日のさせば氷のしたを機関車がゆく
円墳にかかりしわづかなるかげの円墳すべておほふ掌となる
タイルの目朝のひかりにうきあがりタイルひとつにわれはをさまる
押上につまやうじ建つと聞きたればつまやうじの影に泣くひとあらめ
いろいろのこゑのなかみづいろのこゑのやがて死ぬ子のちゑのわあそび
死にしゆゑわれより自在なるきみのけふたえまなくつばなとそよぐ
がうがうたる華厳滝をおもへども滝を背負ひてゐる山しづか
とりあえず、前半から10首。
1、2首目は亡くなった妻を詠んだ歌。もうこの世に足跡を残すことのない足。
3首目は悠久の時間の流れや循環する自然というものを感じさせる。
4首目の「機関車」、5首目の「掌」の飛躍の面白さ。時間や空間のスケールが自在に変化していく。
7首目の「つまやうじ」は東京スカイツリーのこと。
8、9首目からは生と死の問題や、命に対する考え方が伝わってくる。
2014年9月25日、角川学芸出版、2600円。
この状況はいかなるものか、ただ読むものは推察をせねばならぬなにものでもない。突飛に機関車がでてくるからである。ひとりよがりの詩の構築がありわたしから見て饒舌の嫌みがぬぐえない。ならば、容易に理解できる歌のほうがいいのではないか。唯我独尊のごとく馬耳東風の輩が多いのであるが作者はいかに受けとめるであろうか。なにか、浅い表現を感じるので一考をしていただきたい。
「銀河鉄道999」のように、実際の蒸気機関車があり得ない場所を走っていると読んでもいいし、黒いナマズや鯉などが泥を巻きあげて泳いでいる姿を機関車に喩えたと読んでもいい。
いろいろと読者が想像すれば良いのだと思います。
生命のエネルギーの力強さを感じとってもらいたいものです。
渡辺氏の歌の中でもわかりやすくて優れた歌だと思います。