「牙」の古い会員の方々の思い出を綴った文章で、そこには楽しい思い出もあれば、確執とも言うべき苦い思い出もあるのだが、そうしたすべてが歳月とともに赦されて、今では懐かしく温かな記憶として残っている。
わたしが、歌というものの良さを知ったのは、渡辺民恵さんや井上みつゑさん、そしていま名前の出た幸米二さん、こういった言うならば〈無名の歌人〉たちの、混じりけのないひたすらな歌への情熱が統べていたあの頃の「牙」においてである。
渡辺さんも井上さんも幸さんも、歌壇的に名の知られた歌人ではない。けれども、こうした人々を抜きに「結社」を語ることはできないのだ。そうした視点が、最近の結社を論じる文章には欠けているのではないだろうか。
「牙」出詠の毎月十首のみならず、数十首を石田のもとに持参しては、批評を乞う。出来の良い日もあっただろうが、出来の悪い日には遠慮会釈のない厳しい批評がとぶ。やおら渡辺さんは坐っていた座布団を滑り降り、それを両手で石田比呂志の頭の上に振りかぶって、「くやしぃーーっ」と打ちかかった話など、「牙」伝説の一つである。
いいなあ、と思う。場面がありありと目に浮かぶ。こんな光景が羨ましい。本当に歌が好きで好きで、本当に歌がうまくなりたいからこそ、「悔しい」という感情がほとばしり出るのだ。
総合誌に載っている「八雁」の広告には「地方性と無名性を尊重する」というコピーが付いている。その意味するところが、よくわかる気がした。