2014年11月03日

『半農半Xという生き方 実践編』のつづき

この本には当然のことながら、綾部に関する話もたくさん出てくる。

合気道の創始者である植芝盛平翁(1883−1969)は和歌山県田辺市で生まれ、北海道に渡った後、一九一九年、縁あって、綾部で開教された大本教を訪ねている。出口王仁三郎との出会いもあり、植芝盛平は大本の本宮山麓で「武農一如」の生活を営み、さらに精神的修業を重ねた。

綾部というのは不思議な町だ。「グンゼ」「大本」「合気道」「世界連邦」から「半農半X」まで、何か一本の線でつながっているのを感じる。

グンゼの創業者の波多野鶴吉はクリスチャンで、キリスト教の理念に基づいた社内教育を行っていた。現在でも、「あいさつをする」「はきものをそろえる」「そうじをする」という「三つの躾」が徹底されている。

大本は「万教同根」の教えに基づき、戦前からエスペラントの普及に熱心であったし、戦後は平和運動に力を注いできた。綾部市が日本初の世界連邦平和都市宣言を行った背景には、この大本の力があったに違いない。

人類の究極の理念は「平和」だ。半農半Xの向かうところもおそらく「平和」なのだろう。

「半農半X」と「平和」の間には大きな飛躍があるのだが、綾部に流れる一本の線を思う時、そのつながりには根拠があるような気がしてくるのだ。


posted by 松村正直 at 20:13| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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