もちろん、それだけではない。
例えば、北海道における「北方文化論」の話を見てみよう。稲作に不向きな北海道において、酪農を中心とした農業開発を目指した人々がいる。その系譜の人々の中には「北方には内地とはことなる独特の文化がありえるはずだ」という確信が生まれた。
これは、戦前の樺太において、樺太独自の「亜寒帯文化建設」を目指した人々の考え方と全く同じである。連載「樺太を訪れた歌人たち」の中で樺太文化について触れたので、この類似にとても興味を引かれる。
他にも、印象的な文章が数多くある。
どういうわけか、おおくの場合われわれは、その伝統の連続感をたちきって、明治のはじめをすべての近代化の出発点とみなすかんがえかたに慣らされてきたのである。 (福山誠之館)
日本民衆の分析的自然観を、学問的に組織したのは、近代動物学ではなくて、むしろ日本民俗学であった。 (高崎山)
日本という国は、わたしは、本質的に存在の論理の力がつよい国だとおもう。そこにおいては、なにごとも、過去においてあったから、現在もあり、未来もあるのである。 (名神高速道路)
日本の土地は、すべてが明確にかぎりをもっている。「有限感」こそは、日本の土地の感覚的特徴である。 (空からの日本探検)
ウメサオタダオ、とにかくすごい。