大井は、結社の活動を「結社誌の発行」「歌会の運営」「大会等記念行事の企画運営」の三種類に大別し、さらにそのうちの「結社誌の発行」については「名簿管理システム」「費用管理システム」「出入稿管理システム」の三つに集約できると述べる。その上で、
おそらく、こうした結社の運営に必要な「業務」を考えた場合、代行サービスにアウトソーシングできないものはほとんど無いと言えるでしょう。
そこに発生している膨大な(ほぼ無賃の)労働は、やはり何等かの合理的な整理の対象としたほうが良いようにも思われます。
と記している。基本的な考え方や問題認識については同意する部分も多いのだが、自分が結社誌の編集長として10年間やってきたことが「アウトソーシング」できるものであり、「合理的な整理の対象」であると言われるのは、やはり寂しい。
私自身の結社に対する考えは、「塔」60周年記念号(2014年4月号)の「編集ノート」や座談会「編集部、この十年」、「現代短歌」2014年8月号の「高齢社会と結社」で述べてきたので、ここでは繰り返さない。
ただ、大井の考えに対しては、「そこまで言うのなら、歌作りもアウトソーシングすれば?」とか、「そもそも短歌なんてやらないのが一番合理的なのでは?」とか、そんな皮肉を言ってみたくなる。
「塔」でもここ十年、「個人からシステムへ」ということで、だいぶ運営の形を変えてきましたが、どんなにシステムを整備しても、最終的には人間なのだという思いがあります。
数字や形にあらわれない部分にこそ、たぶん結社の一番の魅力があるのでしょう。それは、校正を通じて雑誌作りに関わっているという喜びであったり、大会を自分たちで運営する充実感であったり、会員の方に電話する時のちょっとした会話であったりします。
そういう見えない部分を大切にしていきたいですね。
実務を担う人材が豊富なうちは問題になりません。会員の高齢化で実務ができない人が多くなり、かつ後継者がいない場合、結社を畳まずに生き残らせるにはどうすればいいのか。
どんな結社だって印刷や製本はアウトソーシングしています。であるならば、校正はどうなんだ、割り付けの指示はするから実作業は外注できるのか、という発想が生まれるのは自然なことだと思います。たとえコストがかかったとしても。
アウトソーシングできるものはアウトソーシングしてでも結社を存続させ、会員の作品発表の場を維持したいと運営側が考えてもおかしくはないでしょう。
いずれ、どんな結社でも直面する問題だと思います。
短歌人のHPには
「入会される人は次の3つの義務を負います。
第一、会費を納入すること。
第二、作品を書くこと。
第三、出来る範囲でいいですから、会の運営のため何らかの手助けを心掛けていただくこと。」
と書かれてありますね。いつ見ても感心するのですが、この「第三」の部分こそが、実は結社を成り立たせる一番の根幹ではないのかと思っています。