資料館には、大正13年当時の道修町の様子を再現した模型がある。
丼池(どぶいけ)筋の北西角に「高安病院」があるのがわかる。
高安病院があった場所は、現在では日本圧着端子製造株式会社のビルになっている。
ちなみに居宅の方は、道を挟んだ南側の銭湯(芦の湯)の西隣にあった。
高安国世の兄、高安正夫の『過ぎ去りし日々』の中に、次のように書かれている。
この家は道修町四丁目の丼池の角から二軒目でお隣が風呂屋(銭湯)であったので朝ぶろに来た人が早くから顔を洗い歯をみがくらしくがーがー言う声、かたんかたんと木の桶を置く音が大きく反響して聞えてくるのであった。
そんな昔の様子を思いながら、近くにある「ドトールコーヒー道修町店」でアイスコーヒーを飲んだ。