以前、『シリーズ牧水賞の歌人たち 永田和宏』に「母恋いの歌」という評論を書いたことがある(評論集『短歌は記憶する』に収録)。永田が母を詠んだ歌を取り上げて論じたものだ。
永田の母は昭和26年1月、永田が3歳の時に亡くなっている。この評論を書いた時に私が意識していたのは、自分の父のことであった。5歳で母を亡くした私の父と永田さんを重ね合わせる気持ちがどこかにあったのだろう。
評論というのは、客観的に対象のことを取り扱っているようでいて、実際にはこんなふうに書く側の理由みたいなものが大きく関わっていることが多いように思う。どんな対象やテーマについても書けるわけではない。書くには何か理由や根拠があるわけだ。
だから、評論を読むと、書かれた対象のことがわかるだけでなく、書いた人のことが見えてくる時がある。評論にはそうした二重の面白さがあるのだろう。
2014年09月27日
この記事へのコメント
コメントを書く