私たちの「最初のボタンのかけ違え」は、無傷の、完璧な状態にある私を、まずもって「標準的な私」と措定し、今ある私がそうではないこと(体調が不良であったり、臓器が不全であったり、気分が暗鬱であったりすること)を「敵による否定的な干渉の結果」として説明したことにある。
本当にその通りで、「無傷の、完璧な状態にある私」なんてものは、実際にはあり得ないのだ。これは大学時代のアーチェリー部の監督に言われた言葉とも共通する。
それは「100%な状態でなくて当り前」というもの。試合の当日に、電車が遅れたり、お腹が痛くなったり、あるいは、横風が気になったり、リリースが引っ掛かる感じがあったり、照準器がうまく合わなかったり……、様々なことが起きるわけだが、それで「当り前」だと考えなさいということである。そして、それらを自分に対する言い訳にしないようにということであった。
今から思えば、この言葉はその後もずっと、いろいろな場面で私を支えてくれている。